ラルティーグとアヴェドン

ジャック-アンリ・ラルティーグ(1894-1986)が世界的に知られるようになったのは1963年のMoMAでの写真展でした。ラルティーグ69歳、その陰にはリチャード・アヴェドンの大きな働きがありました。
アヴェドンは50年代始めHarpar’s BAZZARの仕事で毎年パリコレクションの撮影に行っていました。そこでラルティーグとの出会い彼の写真に心酔します。年代は定かではありませんがオードリー・ヘップバーンとフレッド・アステアの『パリの恋人』(Funny Face)が1957年なのでその前後だと思います。余談ですがフレッド・アステア演じるカメラマンの『ディック』は『リチャード』の愛称。この映画はリチャードアヴェドンをモデルとしていて、彼自身がフレッド・アステアにカメラマンとしての演技指導をしているのです。ケイ・トンプソン演じるファッション誌の編集長はVOGUEでなくHarpar’s BAZZAR(アヴェドンがVOGUEに移籍したのは60年代)のファッションエディターのディアナ・ブリーランドがモデルです。


62年にジョン・シャーコフスキーがMoMAの写真部長に就任してその翌年の1963年に開催された『The photographs of Jacques Henri Lartigue』でラルティーグは世界に知られることとなります。その後1970年にはアヴェドンはラルティーグの最初の写真集『Century Diary of a Century』を自ら編集、紹介してラルティーグの名前を世界的に知らしめることになります。
ジャック-アンリ・ラルティーグ76歳の時でした。

Photo books, Oxfordshire, 16 June 2007.


参考サイト:
『パリの恋人』
ニューヨーク近代美術館写真部門